環境問題や残留農薬問題から取り組んだのではないのです。生産者として、本当に必要かと言うことを考えていくうちに、気がつけば減農薬や無農薬栽培に取り組んでいました。
昭和50年(1975年) 当時の石川県農業短期大学に通いながら農業を母と2人でしていました。当時の農薬散布は、背負い式動散で長いホースを引っ張り、粉の農薬(殺虫、殺菌剤)をかけ、回りが見えなくなるほど真っ白になって行ってました。
ある夏の日、農薬散布を終え、公民館での会議に出席していました。家より電話がかかり、「体の調子がおかしい。病院へつれていってくれ。」すぐに帰り、病院へ。母は農薬中毒と言うことで、即入院。幸いにも4日間の入院ですみました。忘れもしません。農薬は、殺虫剤のカヤフォスバッサ粉でした。同じように、中毒になり、入院されたかたもおいでたので、その農薬は1年で使用されなくなりました。
その後、直接散布しなくてもできる方法がないか、いろいろ調べました。まだ、農薬が必要だ、という考えの渦中にいました。
最初に、取りかかろうとしたのが、ヘリによる航空防除でした。農業短大の恩師故三石先生のご紹介で、石川県でヘリによる航空防除を行っているところを視察に行ってきました。これだ!と思い、地元生産組合の役員さんなどにお話しし、一緒に視察に行ってきました。
その後、JAなどにも働きかけ念願のヘリによる航空防除が実施されました。問題点がいろいろ出ましたが、その中の1つが、緊急防除や融通のきいたきめの細かい防除ができないことでした。
その頃から、問題になってきたのが、カメムシによる被害を防ぐための防除でした。以前のように、背負い式動散で粉剤のカメムシ殺虫剤を散布しました。
忘れもしません。暑い夏、日中は暑くつらい、風があるので、粉剤の効果はない、ということで、朝、早くから防除しました。軽トラック1台分の農薬散布を終え、次の分をトラックに乗せ、圃場へ。
なにか体がだるい、足が前へ出にくくなってきた、ひどい、つらい。やめて、病院へ行こう。中止し、家へ。シャワーを浴びようとしてお湯の温度を調節するのだけど、感覚がない、やばい。見える物が、みんな白黒。あわてて、病院へ。
「農薬にやられたみたい。有機リン系の殺虫剤です。」と言って、治療を優先していただきました。幸い大事にいたらず、点滴を打ち終わった後、帰宅しました。
このようなことがあってから、極力農薬を使わない農業を行おうと決心し、農薬の使用の少ない生産者などを訪ね、稲を見て、自分の圃場にあった米作りを模索してきました。 少しだけ見えてきたような気がしました。稲も人間も生き物です。我々人間が病気になりにくいのは、病気になりにくい体を作ることが、大切だと言われてます。病気や虫に強い稲体を作れば、被害が少なくてすむということ、そのような稲作りを目指そうと決め、取り組みました。
それからずっといろいろ試行錯誤しています。去年よりは今年、今年よりは来年と研鑽を重ね、誰でもできる無農薬での栽培を確立したいと思います。最後は、草対策です。「草を征する者、農業を征す。」の言葉どおり、草には、苦労させられています。でも、どこかに何か方法はあるはずです。やればできる、そう信じて、私たちスタッフは努力しています。